ねこ娘の徒然草

*心理学を通して、気づいたこと、感じたこと、過去のこと、閃いたことを発信していきます*

帰れる場所がある、ありがたみ

f:id:n_haruka2l4:20210429225329p:plain

こんにちは。中辻はるかです。

今日は珍しく2回連続更新~♪

一日中大阪は雨だったので、自宅でワードプレスと格闘していました。(現在お試し期間中にて)

そしてプラグインを無料で公開していることに結構衝撃を受けました。

プラグイン作ってる人すごい!!

 

***

 

もうすぐで地元福岡へ帰省していない期間が1年半を迎えます。

 

焼き鳥食べたい

美味しいお魚食べたい

美味しいお酒飲みたい

海風にのってくる潮の香り

街中で飛び交う博多弁

渡辺通り西鉄バスの多さ

 

あーー福岡帰りたい!笑

 

ちなみにコロナ禍になってから、一度も福岡へ帰っていません。

帰ってもいいかな?と思った頃に緊急事態宣言発令されたり、私の職場ではテレワークが出来ないこともあり、高齢の祖母もいますし、泣く泣く帰っていない状況が続いています。

 

 

私は仲の悪い両親から解放されたかったのと、今までの人間関係をいったんリセットをしたくて大阪へ来ました。

大阪行きは両親には何も相談せず「明日から大阪に住むから。」とだけ伝えて出てきました(爆)

もちろん両親は寝耳に水でびっくりぽん!

相当驚かれました。

 

 

当時は大阪での就職先も何も決まっていない状況で、住む家だけ先に決めて、身体ひとつで出てきたような状況でした。

知らない土地で暮らすなんて不安でたまりませんでしたが、日本語が通じることと、「他はなんとかなるだろう!もし就職先見つからなければ福岡へ帰ろう。大阪の空気が合わなかったら、実家へ帰ろう」と思って家を出ました。

 

とりあえず3ヶ月、その次は半年、一年、、、

気づいたら地元を離れて5年経っていました。

 

その間に恋愛ではもちろん、仕事でもズタボロになって体調を崩したり、お金が足りなくなって元彼から借りてみたり(これは初告白であり、私にとってかなり勇気のいった公表です笑)、何度も地元へ帰ろうかなと思うことがありました。

だいたいはズタボロになって、メンタルを整えたい時に地元へ帰っていました(笑)

 

そしてエネルギーチャージして、大阪へ戻ってゆく。

 

大阪へ出てきた当初は、なぜ急に大阪へ行こうと思ったのか両親が不思議がり(そりゃそーだ笑)、何度も理由を聞かれましたが毎度スルーし、いつも「実家に帰ってきて良いよ」と言われていましたが、最近は全く言われなくなりました。

 

 

私の両親は前回ブログでも書いたとおり、私が物心ついた時から不仲で、現在も不仲です(^^;

理想の夫婦とは言えませんが、大阪に来てからは両親のことが客観的に見れるようになり、「これが私の両親の夫婦スタイルなんだな」と思えるまでになりました。

 

母の愛情表現の仕方は、とにかく手をかけること。少し心配性になりがちですが、そういう性分なんだと思います。

 

しかし、父の愛情表現ってなんだ?

 

 

父は普段から何を考えているか分からないような人物で、基本的に怖い顔をしているし(目つきが鋭いのです)、言葉足らずな傾向があり、会話は短めです。

 

母はよく離婚したいと言っていたけど、父からその話は聞いたことがなく、女性関連の問題も起こしたような気配はありません。

母とも仲が悪いし、ヒステリー傾向がある母とひとつ屋根の下で暮らすには父も何かしら我慢しながら生活しているはず。

 

父が離婚したいと言ったり、女性問題が起これば、即離婚となっていたはず。

 

なぜ父は離婚したいと言わなかったのか。

(私が知らないところでそういう話があったのかもしれませんが)

 

なぜ子供が巣立った今も夫婦として生活しているのか。

 

長らくこれが疑問で仕方ありませんでした。

でもある時ふと思いついたんです。

 

 

"私たちに帰れる場所を提供してくれているのかも"

 

今まで父は単身赴任の時期もありましたが、私たちが小学生の頃は一度単身赴任を断ったこともあるそうで、基本的には勤務地が遠方でも自宅から通っていました。

仕事から帰ってくることが遅い日もありましたが、何日も家に帰ってこなかったという印象はなく、単身赴任中でも2週間に一回は帰ってきていた印象です。

 

 

そんな父の愛情表現の仕方は、ただそこにいる。

言葉にすれば結構単純というか、可もなく不可もない印象ですが、そこに居続けるって結構難しいような気がします。

※私はそこに居続けることが無理で地元を出てきましたし、仕事も取っ替え引っ替えした身なので余計に難しく感じます(笑)

嵐が吹いても、大雨が降っても、危機的状況が迫ってもそこに居続ける。

 

 そう思うと父のいる場所が、私たちが安心して帰れる場所なのかもしれません。

その場所を提供するために、父は今も母と離れず夫婦関係を続けているのかもしれません。

 

本人に聞いたことはないので、本当のことは分かりませんが…

 

**

 

5月に入れば連休があり、母の日と父の日が来ます。

 

昨年と同様でコロナ禍で両親と会えない状況が続いている方も多くいると思いますが、「こんなことを思えるようになった私も歳取ったわ〜」なんて思いながら、安心して地元へ帰省できる日を待ち望みながら、GWを過ごしたいと思います。

 

 

あー焼き鳥食べたい(T_T)

私は鳥皮が苦手なんですが、唯一地元の焼き鳥の鳥皮なら食べれる!!

f:id:n_haruka2l4:20210429225034j:image